C’è Specchio e specchio: 鏡がある…そして本当の鏡もある
C’è Specchio e specchio: 鏡がある…そして本当の鏡もある
解説部分
この文章は、外見と真実、表面と深層、外的なイメージと内的な本質との対比を探求している。冒頭に示される穏やかな海と夜の静けさの比喩は、読者を思索の中心へと導く。見かけ上は静穏でも、その奥底には常に隠れたうねりが潜んでいるのだ。この主題はやがて人間の内面へと移される。人の心を動かす目に見えぬ潮流とは何か?
次に登場する「鏡」は、自己との対峙の象徴であると同時に、神の像を映し出すものとしても描かれる。ここには、表層的な「私」という映像と、より深い「業(おこない)の鏡」との緊張関係が浮かび上がる。これは肉体的な姿を超えた倫理的・実存的な審判を示唆している。最後に聖書の「神のかたちと似姿」を想起させる問いかけによって、この作品は神学的に力強い終結を迎える――私たちの中に映されるべきものは誰なのか?
詩の部分
鏡がある…そして本当の鏡もある
静かな海の外見は
風がなく
水が鎮まり
平らな板のように
見えるときに現れる。
それは
夜の疑似的な静寂と
同じ意味を持つ。
ほとんどの人は眠っているが、
夜の奥底には
必ず音があり、
たとえ断片的でも、
耳に届く。
深海の潮流は
隠れて働いているのに、
海は止まっているように見える。
では、私たちの心の深みでは
どのような流れが
心を揺さぶっているのだろう?
どんな音が
思考を乱しているのだろう?
あるいは、その思考こそが
私たちを乱し
騒がせている原因なのか?
そしてもし私たちが
滑らかな表面となり、
そこに神が
ご自身を映し、
ご自身を見なければならないとしたら?
鏡の前に立つと、
必ず現れるのは
押し寄せる「私」という姿。
それは
物理的で外的な形態、
この地上の生において
動き、働き続ける
器にすぎない。
この生は永遠ではない。
しかし――
本当の鏡、
「業(おこない)の鏡」の前に立ったとき、
そこに映るものは何だろう?
いや、むしろ――
私たちはどのように
映りたいのか?
そして何よりも――
私たちの中に
映されるべき
「かたちと似姿」とは
いったい何なのか?
フィレンツェ、2023年6月15日 午前3時20分
オリジナル写真:ティツィアーナ・ナルディーニ
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